ジュエリーコンシェルジュ原田信之

原田信之 所有されているジュエリーの活用方法をアドバイスする株式会社ジュエリーアドバイザー アンド ギャラリー JAAG(ジャーグ)の代表のブログ。オークションの査定や百数十回に及ぶ宝石の海外買い付け、ジュエリーのプロデューサーとしての経験を生かして、相続や売却、資産性のある宝石の購入のアドバイスをします。

2009年07月

Historic Ring

〇ブロンズリング
指にはめたブロンズリング














ダイヤモンドは、いつの時代も人々の憧れだ。
女性なら誰でも一度ぐらいはダイヤモンドに魅力を感じ、模造石のアクセサリーを購入した経験を持っているのではないだろうか。
15−16世紀にもダイヤモンドに憧れをもった人々の間で、同じようにダイヤモンドを模したリングが流行した。
このリングは、ベゼル(石座)にポイントカットのダイヤモンドをセットしたリングを模してブロンズでつくられたものだ。




ブロンズリング小














アマチュアの考古学者グループが余暇を利用してテムズ川から見つけたものの一つである。
恋人との別れから川に投げ捨てられたものなのか、このリングがどうして川底に沈んでいたのか知る由もないが、昔も現代も人々がダイヤモンドに憧れていたことは確かである。
橋本コレクションは、高価なものだけではなく、当時の人々の暮らしまで想像できるリングが含まれていることに意味がある。


<ポイントカットのダイヤモンドリングの本物の写真>
ピラミッドダイヤモンドリング本物

ルビーの指輪

ルビーの指輪















1945年日本軍は、ビルマ(ミヤンマー)からの撤退を余儀なくされた。
その時一人の軍医が首都ラングーン(ヤンゴン)で手に入れたルビーの指輪を、鞄の底に仕込んで密かに持ち出した。
体一つ無事に戻ることさえ難しい状況の中、その指輪は無事日本に持ち込まれた。
その後、指輪は軍医からある男性の手に渡った。

先日、一人の女性から指輪の査定依頼があった。祖父から譲り受けたものだそうだ。
そう、それが軍医が決死の思いで日本に持ち帰ったルビーの指輪である。

3カラットサイズの明るく透明度の高い、ややピンクがかった赤い宝石は、イエローゴールドの枠に上下左右を先割れの爪で留められている。
歪で形の悪いカットは、原石の歩留まりを重視した典型的なビルマのものだ。
しかし、残念ながら、一目で合成ルビーと分かった。
合成ルビーの歴史は古く、既に100年前から存在している。
当時は、鑑別が出来ずに天然よりも高値で取引されていたが、鑑別技術の進歩で見分けることが出来るようになると宝石としての価値はなくなった。
ルビーの指輪クローズアップ














宝石としての価値は無いが、日本に辿り着いた物語や祖父から受け継いだ家族の想い出を伺って、この指輪が非常に愛おしく思えてきた。
大切に受け継がれた装身具には、金額に換えられない価値がある。
所謂センチメンタルバリューだ。
家族の中で語り継がれて、次の世代に受け継がれていくのが、この指輪の最も相応しい姿であろう。

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